



トップ > いなりんが生まれた経緯
2009年度(社)穂の国青年会議所(第50代 杉村大介理事長)の地域ビジネス委員会で、地域に貢献できるビジネスを考え一年間活動しました。その中で地域ブランドを作る、もしくは現在ある地域ブランドを日本に広めていけるような仕組みを作ってはどうだろう!!という事になりました。地域ブランドとは、例にたとえると、富士宮やきそば・浜松餃子・松坂牛など、その名前を聞けばその地名が思いつくような物で経済効果をもたらす物の事です。豊川市の「豊川いなり寿司」が地域ブランド化を目指していると言う事で、私たちも微力ではあるが「豊川いなり寿司」を日本中に広めて行こうという事になり、「いなり寿司で豊川市をもりあげ隊」と共に現在も活動しています。
「豊川いなり寿司」が全国的に有名になり、日本全国の人に豊川市と言う名前を知ってもらい、たくさんの人が豊川市に来て豊川稲荷や豊川の街を観光をしてもらい豊川市の良さを知ってもらうことで、豊川市も経済的に有益になるのではないかと思い、私たちに何が出来るか考えてみました。いなり寿司を作ろうかとも考えましたが、折角なら「豊川いなり寿司」のシンボル的なキャラクターを製作してはと言うことで、豊川いなり寿司キャラクター募集の企画がスタートしました。豊川市内の小学校・中学校にチラシを配布して、(社)穂の国青年会議所と豊川市観光協会のHPや新聞紙面などを利用してキャラクターアイデアの募集を呼びかけました。
2009年9月11日〜10月2日までアイデアを募集したところ、豊川市に住む幅広い年齢層の方からや、青森県からなど他県に住むの方からのたくさんの応募があり、応募総数900通にもなりました。「豊川いなり寿司」を豊川市に根付く地域ブランドにする事と、全国の方に「豊川いなり寿司」を知ってもらう事に、少しではありますが貢献できたのではないかと思います。
2009年10月5日に豊川商工会議所にて、(社)穂の国青年会議所メンバーといなり寿司で豊川市をもりあげ隊のメンバーの方と合わせ約20名程度で選考会を行いました。応募時にキャラクター名とプロフィールを書いていただいたのですが、皆さん真剣に考えていただき、どの作品も甲乙付けがたいものではありましたが、厳正な選考の元キャラクターを選考させていただきました。その結果、岡崎市在住の一里塚文さんの「いなりん」に決定し、2009年11月21日に行われた第1回豊川いなり寿司フェスタにて、豊川いなり寿司公式キャラクターとしてお披露目され、以後いいないなり寿司の日やB1グランプリをはじめとする多くのイベントに出没し、人気も上々になってきました。
豊川いなり寿司キャラクター「いなりん」をきっかけに豊川市の知名度が増し、豊川市の地域発展に繋がる事を切に願います。